東京オリンピックの年、先代の理事長である中尾久雄氏が、昭和39年に久留米市上津町で医業を始めたのが、久英会の発足に繋がります。
その後、昭和47年に社会福祉法人久英会を、昭和50年に医療法人社団久英会を設立いたしました。
当時の日本は、右肩上がりの経済成長を果たしており、若者中心の社会であり、医療と福祉は別物であるという考え方に異論はなく、行政においても福祉の現場においても同じでありました。
高齢化社会に対応するために、2000年に介護保険制度が導入され、医療と介護・福祉に細分化されましたが、依然として医療と介護・福祉は縦割りの関係で、行政も介護・福祉の現場も同様に捉えておりました。これは、制度や法律、更には行政指導であることが優先された結果であると考えます。
しかしながら、今は利用者中心患者さま本位という考え方に基づき、しかもその人たちが、住み慣れた場所で安心して暮らせる社会を目指す、「地域包括ケアシステム」という概念が出て参りました。